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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)5204号 判決 1989年1月17日

原告

成田義夫こと成賛植

被告

弘安建設株式会社

ほか一名

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自原告に対し、金八八九万三四六〇円及びこれに対する昭和六三年六月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  第1項につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文の同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生

被告森は、昭和六〇年三月一七日午後零時二五分ころ、普通乗用自動車(和五五ら四二八七号、以下「森車」という。)を運転して和歌山市六番丁六番地先の東西に走る道路と南北に走る道路とが交差する交差点内を走行中、自車を訴外吉村高宣運転の普通乗用自動車(名古屋五八て六六七六号、以下「吉村車」という。)に衝突させ、次いでその衝撃により自車を原告運転の普通貨物自動車(大阪一一た六六五三号、以下「原告車」という。)に衝突させた(以下「本件事故」という。)。

2  責任

(一) 被告森

被告森は、本件事故当時、森車を運転して前記交差点に通ずる東西道路の西行車線を西進してき、本件交差点を対面の青色信号に従つて右折し、南北道路を北進しようとしたのであるから、前方を注視しつつ自車を進行させ、東西道路の東行車線を対向東進してくる車両との衝突を未然に防止すべき注意義務があつたものである。しかるに、同被告は、前方に対する注視を怠り、漫然と自車を右折進行させた過失により、東西道路の東行車線を東進してきて本件交差点を直進しようとした吉村車に自車を衝突させ、その衝撃により南北道路を南進してきて本件交差点の北詰手前で信号待ちのため停止していた原告車に自車を衝突させたものである。したがつて、同被告は、民法七〇九条に基づき、本件事故によつて生じた後記損害を賠償する責任がある。

(二) 被告会社

被告会社は、本件事故当時森車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき、本件事故によつて生じた後記損害を賠償する責任がある。

3  原告の受傷、治療経過、後遺障害

原告は、本件事故により外傷性頸椎捻挫の傷害を受け、昭和六〇年三月一八日から同月二〇まで柏木外科胃腸科に通院(実日数三日)、同月二二日から同年四月一三日まで(二三日間)池田病院に入院、同月一五日から同月一八日まで同病院に通院(実日数四日)、同月二二日から同年五月二二日まで(三一日間)大阪東循環器病院に入院、同月二三日から同年一二月四日まで同病院に通院(実日数七九日)し、その後も昭和六一年七月末まで同病院に通院して治療を受けた。しかし、原告の右傷害は、結局完治せず、昭和六一年八月六日、後頸部痛、嘔気、左上肢のしびれ感といつた自覚症状、両側僧幅筋の圧痛、筋トーヌスの上昇、頸椎運動障害(前屈・右回旋・左回旋各三〇度、後屈二五度、右屈・左屈各二〇度)といつた他覚的所見を残存させてその症状が固定するに至つた。原告は、右の後遺障害につき、自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)の後遺障害等級認定において、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表(以下「等級表」という。)第一四級一〇号(「局部に神経症状を残すもの」)に該当するものと認定されたものであり、等級表の右等級号に該当する。

4  損害

(一) 休業損害 金五七一万四六四〇円

原告は、昭和二二年一月一九日生まれの本件事故当時三八歳の健康な男子で、原告車を所有し、組立住宅建設業を営む訴外金井組から建設現場への建築資材の運搬を専属的に請負い、本件事故当時月額五〇万円を下らない収益をあげていた。しかるところ、原告は、本件事故による傷害のため、昭和六〇年三月一八日から昭和六一年九月三日までの五か月と一八日間全く就労できず、同月四日から就労したが、同日以降一〇か月間、金五〇〇万円の収益を得られるはずのところ、金二〇七万五三六〇円の収益を得るにとどまつた。したがつて、原告は、右の間、合計金五七一万四六四〇円の得べかりし利益を得られなかつた。

(二) 逸失利益 金一二九万八八二〇円

原告の後遺障害の内容・程度、年齢、職業は前記のとおりであるから、原告の後遺障害による労働能力喪失率は五パーセント、労働能力喪失期間は五年間である。そして、原告が本件事故当時に得ていた利益の額は前記のとおりである。そこで、原告が右の間に失うことになる利益の総額からライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して後遺障害による逸失利益の症状固定時における現価を求めると、金一二九万八八二〇円となる。

(三) 慰謝料 金二八八万円

原告が本件事故により受けた傷害及び後遺障害の内容・程度その他諸般の事情に照らせば、原告が本件事故により被つた精神的・肉体的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料の額は、金二八八万円が相当である。

5  損害の填補

原告は、被告から金一〇〇万円の損害賠償金の支払を受けた。

6  結論

よつて、原告は被告らそれぞれに対し、4の合計額から5の既払額を控除した金八八九万円三四六〇円の損害賠償金及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六三年六月二一日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2の事実中、(一)の事実は否認し、(二)の事実は認める。

3  同3の事実中、原告が昭和六〇年三月一八日から同年一二月四日まで主張のように病院に入通院して治療を受けたこと、原告が自賠責保険の後遺障害等級認定において等級表第一四級一〇号に該当するものと認定されたことは認めるが、その余の事実は否認する。原告は、本件事故によつて受傷していない。本件事故は、森車が交差点を右折中の事故であるが、森車は時速約二五キロメートルに減速中で、その力は吉村車との衝突により東方へ加力されたから、原告車の停止していた北方への走力は一層低下していた。更に、被告森は、吉村車と衝突した地点から原告車に衝突する地点までの約一一メートルの間、急ブレーキをかけ続けていたのであるから、森車の速度は更に減じていた。原告車は、本件事故によりバンパー部分を中心とする凹みが生じたが、その直近のヘツドライトには損傷がなく、その内部には何らの損傷もなく、衝突の衝撃は軽微なものであつた。そもそも、原告車は、車両重量三・五九トン、車両総重量七・七五五トン、最大積載量四トン、高さ二・三七メートルのユニツク・クレーンを装置した貨物自動車で、車両重量一・四一トン、車両総重量一・六八五トン、高さ一・四一メートルの森車とは格段の違いがあり、本件事故は、森車の右端部が原告車の右下端部に衝突したという互いの重心を外した衝突で、森車の運動エネルギーの大半が他に放散し、原告車に吸収されたそれは僅かなものにすぎず、その衝撃は軽微なものであつた。したがつて、原告車は、本件事故により全く停止位置を移動しておらず、そのうえ、原告は、森車と吉村車との衝突を眼前に見分し、ハンドルに力を込めて森車の衝突に備えているのである。してみれば、工学的・医学的観点からして原告に頸部捻挫の生じ得ないことは明らかである。原告は、本件事故直後は何らの身体的な異常がなく、警察の実況見分に立ち会つて指示説明をし、警察署での調書の作成にも応じたのち、和歌山市から大阪府八尾市の自宅まで帰宅した。ところが、原告は、帰宅後の当日午後九時ころから頸部痛が生じたとして前記のように病院に入通院して治療を受けるようになつたものである。真に原告が本件事故により受傷したのであれば、その身体的な異変は、右のような精神的負担を伴う面倒事の最中に生ずるはずで、まことに不自然である。しかも、原告は、最初に通院した柏木外科胃腸科で加療一週間と診断されるや、直ちに池田病院に転医して入院し、同病院を退院して向後加療一か月と診断されると、大阪東循環器病院に転医して入院し、長期にわたり治療を受けてきたものであつて、原告に比べ遥かに事故の衝撃の強かつた訴外吉村(九日入院、全治一六日間)、被告森(全治二週間)、森車に同乗していた訴外森田香里(全治三週間)及び訴外森規子(同)の受傷の程度に比べても極めて不自然というべきである。そして、原告の入通院中、保険会社との示談交渉等の過程において、原告の代理人と称して訴外錦城賞、祖国防衛隊の訴外村井武、全日本同和会の訴外松本武起、同森下健司と称する人物が介在したりしているのである。のみならず、昭和六〇年四月二三日に原告を診断した大阪東循環器病院の西川正治医師は、原告に認められた所見は肩凝り程度の筋緊張だけで、検査や他の他覚的所見上の異常はなく、原告の症状は軽症であつて、同病院への入院はその必要性がなかつたものと判断している。原告の症状を裏づける明確な他覚的所見は、結局原告の全治療期間にわたつて認められないものであり、それにもかかわらず長期にわたり入通院を繰り返していることも不可解というほかないものである。

4  同4の事実は争う

5  同5の事実は認める。

三  抗弁

1  心因的な要素の寄与

請求の原因に対する認否3において述べたような事情からすれば、原告の症状の発生及び拡大には原告のもつ心因的な要素が大きく寄与しているものというべきであり、これを斟酌して原告の損害額の減額がなされるべきである。

2  損害の填補

原告は、森車の自賠責保険から金七五万円の保険金の支払を受けた。

四  抗弁に対する認否

抗弁1の事実は否認し、同2の事実は認める。

第三証拠

本件記録中の書証及び証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一  原告は、本件事故により外傷性頸椎捻挫の傷害を受けたものであると主張し、被告らはこれを争うので、まずこの点につき判断するに、本件事故が発生したこと、原告が昭和六〇年三月一八日から同月二〇日まで柏木外科胃腸科に通院(実日数三日)、同月二二日から同年四月一三日まで(二三日間)池田病院に入院。同月一五日から同月一八日まで同病院に通院(実日数四日)、同月二二日から同年五月二二日まで(三一日間)大阪東循環器病院に入院、同月二三日から同年一二月四日まで同病院に通院(実日数七九日)して治療を受けたこと、原告が自賠責保険の後遺障害等級認定において、等級表第一四級一〇号(「局部に神経症状を残すもの」)に該当するものと認定されたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証の二ないし二四、第二号証の一、二、第四号証の一ないし四、第九号証の一ないし三、第一〇ないし第一九号証、第二〇、第二一号証の各一、二、第二二ないし第四七号証、第四八号証の一、二、第四九ないし第五五号証、第五六号証の一、二、第五七号証、被告ら主張どおりの写真であることに争いのない検甲第一、第二号証、証人西川正治の証言及びこれにより真正に成立したものと認められる乙第八号証によれば、原告は、柏木外科胃腸科において頸部疼痛、しびれ感を訴えて外傷性頸部捻挫との診断を受け、池田病院において頭部及び頸部痛、頸部運動制限、嘔気を訴えて外傷性頸部捻挫との診断を受け、大阪東循環器病院において頭部及び頸部痛、頸部運動制限を訴えて頸椎外傷Ⅱ型ないし外傷性頸都症候群との診断を受けたこと、また、原告は、右病院に入通院中、上肢のしびれ感や嘔吐又は嘔気などをも訴え、両側僧帽筋の圧痛、筋緊張が認められ、昭和六一年八月六日には、同病院医師により右のような自覚症状及び他覚所見(椎部の運動制限は、前屈三〇度、後屈二五度、右屈左屈とも二〇度、右回旋左回旋とも三〇度)があるとして同日をもつてその症状が固定した旨の診断を受けたこと、本件事故により原告車は破損したことが認められる。右の事実によれば、原告は、本件事故によりその主張のような傷害を負つたものであると推認することができるかの如くである。

二  しかし、他方、前掲甲第一号証の二ないし二四、検甲第一、第二号証、成立に争いのない甲第八号証及び弁論の全趣旨によれば、本件事故の状況について、次の事実が認められ、これに反する原告本人尋問の結果は右の各証拠に照らして信用することができず、他に右の認定を左右し得るような証拠は存在しない。

1  被告森は、本件事故当時、森車を運転して前記交差点に通ずる東西道路の西行車線を時速約四〇キロメートルの速度で西進してき、本件交差点入口付近で一時停止したのち、時速約二五キロメートルの速度で右交差点を右折し、南北道路を北進しようとしたところ、東西道路の東行車線を時速約三〇キロメートルの速度で東進してきて本件交差点を直進しようとした吉村車の前部に自車の左側面を衝突させた。訴外吉村は、森車との衝突直前約五・八メートル手前で右折してくる森車に気づき、急ブレーキを踏んだが間に合わず、森車と衝突して約一ないし二メートル北東に進行し、同方向を向いて停止した。森車は、右衝突地点から約一一メートル北方へ進行し、本件交差点の北詰手前で信号待ちのため停止していた原告車の約三〇センチメートル手前でブレーキを踏んだが間に合わず、原告車の右前部に自車の右前部を衝突させて停止した。森車が吉村車と衝突した地点からは、森車の右前輪付近から二・五五メートル、右後輪付近から四・四六メートル、森車の左前輪及び吉村車の前輪付近から一・六メートルと一・七メートルの長さの北方、やや北東寄りにかけてのにじり痕が印象されていた。

2  本件事故による森車の損傷の部位・程度は、ボンネツト・右前フエンダー・前バンバー曲損、右前照灯・左前後部ドアガラス・左テール指示器破損、左前後部ドア・左前後部フエンダー凹損の大破、吉村車のそれは、左右前フエンダー・ボンネツト・前バンパー曲損、左前照灯破損、右前指示器脱落の大破であつたが、原告車のそれは、前バンパー右角曲損、右前照灯破損、フロントグリル凹損の軽微なものないしは小破にすぎなかつた。

3  森車は、車両重量一・四一トン、車両総重量一・六八五トン、長さ四・六九メートル、幅一・六九メートル、高さ一・四一メートル、吉村車は、車両重量一・〇四トン、車両総重量一・二六トン、長さ四・三一メートル、幅一・六メートル、高さ一・三一メートルであつたが、原告車は、車両重量三・五九トン、車両総重量七・七五五トン、最大積載量四トン、高さ三・三七メートル、長さ八・四メートル、幅、二・一七メートルのユニツク・クレーンを装置した貨物自動車であつた。

4  本件事故当日の午後零時三五分から二時一〇分までの間、原告及び被告森が立会つて警察官の実況見分がなされたが、その際、原告及び被告森は、ともに森車と原告車の衝突により原告車の停止位置に移動はなかつた旨の指示説明をしている。そして、昭和六〇年三月二六日の訴外吉村の立会のもとに行われた実況見分においても、訴外吉村は右衝突により原告車に位置の移動はなかつた旨の指示説明をしている。

5  原告は、本件事故当時、前記のように本件交差点の北詰手前で停止していたが、前方で森車と吉村車が衝突するのを目撃しており、自車の方へ進行してくる森車を見てハンドルを握つている手に力を込めた。

6  原告は、本件事故直後、警察の実況見分に立ち会つて指示説明をし、警察署での調書の作成を終えたのち、和歌山市から大阪府八尾市の自宅まで帰宅したが、この間何らの身体的異常もなかつた。ところが、原告は、帰宅後の当日午後九時ころから頸部痛が生じたとしてその翌日に柏木外科胃腸科を訪れ、以後前記のように長期間にわたり病院に入通院することになつた。

7  本件事故による訴外吉村の傷害の程度は全治一六日間(九日間入院)を要する頭部打撲、被告森のそれは加療約二週間を要する頭部・頸部挫傷、森車に同乗していた訴外森規子のそれは加療約三週間を要する頭部・左前胸部挫傷、訴外森由香里のそれは加療約三週間を要する両膝挫傷創、右肘打撲、頭部・頸部挫傷にすぎず、本件事故当時原告車に同乗していた訴外金武正和には何らの傷害もなかつた。

右の事実によれば、森車と吉村車との衝突は相当激しかつたものと認められるが、森車は自車の左側面から吉村車両の衝突を受けてその走力は相当程度減殺されており、被告森が原告車に衝突する直前にブレーキを踏んだこともあつて、森車と原告車との衝突による衝撃は更に軽度のものになつていたものと認められる。しかも、森車が普通乗用自動車であるのに対し、原告車は形状・重量とも大である貨物自動車であるうえ、本件事故は森車の右端部が原告車の右下端部に衝突したという互いの重心を外したもので、原告車は右の衝突により停止位置の移動はなく、原告車の本件事故による衝撃は極めて軽微なものであつたと認められる。そして、原告は、森車と吉村車の衝突を目撃し、ハンドルを握つている手に力を込めて森車の衝突に備えているのであり、このような事故状況で原告がその主張のような傷害を負うことはほとんど考え難いところである。原告が本件事故により受傷したとして長期にわたり病院に入通院して治療を受けたことは前記のとおりであるが、右に認定したように事故直後のかなりの負担を伴う各行為中に何らの異常もなかつたこと及び原告より遥かに強い衝撃を受けたものと認められる者らが前記の程度の負傷ですみ、原告車に同乗していた訴外金武が全く負傷していないことも、原告がその主張のような傷害を負つたとすれば、いささか不自然である。

三  また、前掲甲第一号証の一二、一三、第二号証の一、二、第四号証の一ないし四、第九号証の一ないし三、第一〇ないし第一九号証、第二〇、第二一号証の各一、二、第二二ないし第四七号証、第四八号証一、二、第四九ないし第五五号証、第五六号証の一、二、第五七号証、乙第八号証、成立に争いのない甲第三号証の一、二、弁論の全趣旨及びこれにより真正に成立したものと認められる同第五、第六五号証、第七号証の一、二、乙第一、第二号証の各一、二、第三ないし第六号証、証人西川正治の証言によれば、原告の症状に関する事情及びその他の事情として、次の事実が認められ、これを左右し得る証拠は存在しない。

1  原告は、前記柏木外科胃腸科への通院中、頸部疼痛・しびれ感を訴えて外傷性頸部捻挫と診断されたが、頸椎のレントゲン検査上異常はなく、その他の他覚的所見が認められた形跡もない。したがつて、同病院が原告に施した治療は、内服薬の投与、湿布、静注といつた簡単なものにすぎず、そこにおける診断も約七日間の通院加療を要するというものにすぎなかつた。原告は、右病院に三日間通院しただけで、池田病院に転医している。

2  また、原告は、前記池田病院への入通院中、頸部及び頭部痛、嘔気を訴えて外傷性頸部捻挫と診断されたが、主訴類似の頸部の運動制限が認められただけで、頸椎のレントゲン検査その他他覚的にその主訴を裏づける所見は見出されず、その入院中に頸椎牽引、運動療法も行われ、昭和六〇年四月一三日には症状が軽快したとして退院となり、同月一七日には向後一か月の通院加療を要するものと診断された。ところが、原告は、同月二二日には大阪東循環器病院を訪れ、以後長期にわたり同病院に入通院することになつた。

3  更に、原告は、前記大阪東循環器病院への入通院中、頭部及び頸部痛、上肢のしびれ感や嘔吐又は嘔気などを訴え、頸部の運動制限、両側僧帽筋の緊張と圧痛、ジヤクソン・スパーリング検査上の陽性が認められたが、頸部の運動制限は頸部の痛みによるもので主訴類似のものであり、ジヤクソン・スバーリングテストは、昭和六〇年四月二三日にいずれも陰性であつたものが、同年五月一三日(ジヤクソンテスト)、同年六月三日(スパーリングテスト)には陽性となり、その後の検査においてはいずれも陰性であつたという不可解なものであり、筋緊張も軽度のものでいわば肩凝りという程度のものでしかなかつた。そして、原告には、他にレントゲン検査(特段の加齢変化もない。)、脳波検査、眼底写真撮影、知覚検査、ホフマン反射など他覚的な所見は全く認められなかつた。同病院への入院は、胸部外科を専門とする中橋医師(院長)が決定したもので、同医のつけた診断名は、頸椎外傷Ⅱ型という珍奇なものであり、同病院で週一回原告をみていた同病院唯一の整形外科医西川医師は、原告には入院の必要性はなく、治療期間が長期にわたつたのは、患者との対人関係や社会的関係を配慮したためであり、原告に対し前記のような症状固定の診断をしたのは、自覚症状が残つているという意味においてこれをしたものであると述べている。

4  原告の前記入通院中、原告の転医や示談交渉など本件事故の事後処理の過程において、原告の代理人と称して訴外錦城賞、祖国防衛隊の訴外村井武、全日本同和会の訴外松本武起、同森下健司と称する人物が介在して保険会社と交渉をもつたりした。

右の事実によれば、原告の主訴を裏づけるに足るだけの明確な他覚的所見はなく、所見と症状ないし治療期間との間に著しいアンバランスがあり、治療や転医の経緯などに不自然な点も認められるうえ、いわゆる示談屋の介入もあつて、原告が本件事故によりその主張のような傷害を負つたとすることに疑いを差し挟む事情が認められる。

四  右二、三で認定・判断したところに照らせば、前記一の事実から原告が本件事故によりその主張のような傷害を負つたものであると推認することはできず、他にこれを認めるに足る証拠は存在しない。

五  以上の次第で、原告の本訴各請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山下満)

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